服部さんパート
[イントロ]
(管理人)
そうしましたらですね、次3人目の方ですね、服部さん。
服部さんはですね、私Twitter 知り合った中でずっとメッキの達人というイメージがあったんですけども、実際そのメッキに関するツールすごく勉強になるツイートもされてたこともあるんですけども、一応ご本人の立っての希望で猫好きの服部さんで紹介してくれという事だったので猫好きの服部さんということでよろしくお願いします。
[服部さんスタート]
はい、こんばんは皆さんこんばんは。軽くBGMかけてやらせてもらいます。私はですね、技術士金属部門の服部と言います。
専門はですね、めっきという技術です。正確に言うとですねやってました(過去形)です。
今はやっていないです。またその理由とかはですね、後で説明しようかなと思うんですが、めっきというのは皆さんちょっとご存知かどうかわからないんですけど、金属だとかプラスチックに薄い被膜を作って装飾目的だったり、錆止めだったりする技術のことです。
今日はですね、皆さん技術士になってからの話だとかが多かったのですが、ちょっと私はですね大学出てから技術士になるまでですね、その技術士の方に何か所々で何人か出会っててですねその人たちの話を少ししようかなと思います。
お付き合いお願いします。
私はですね大学は化学工学部というところを出ています。
その時は当然ですね、まだ後でメッキのことをやるということは考えていなくてですね、考えていなかったんですけど結果的にはですね、後からすごく化学の知識というのが役に立ちました。
大学時代ですね。
今日はちょっと全体的に私自身がかなりゆるい生き方しているのでもっとしっかりしろよっていう風に思われる方いるかもしれませんがゆるくやってきますね。
大学の頃ですね。結構遊び呆けてですね、あまりまともに就職活動とかもやっていなくて 遊んでばっかりでしたのでメイテックというエンジニアの派遣社、気になったことある方いらっしゃると思います。
そこに就職しました。ということはですね、まだ自分が何やるかわからないまま社会人になったというところです。
でどこで働くのか?
具体的にですね、どこで働くのか?とか何の仕事をやるのか?というのもわからないままですね4月を迎えて社会人スタートとなりました。
で、 研修センターみたいなところがあるんですけど入社の初日にですね、新入社員がみんな部屋に集まって集合した時にその新入社員に対してですね、色々お世話をする社員さんが来られたのですけどその方がですね、いきなり機械部門の技術士の方でした。
当時ですね、その人が自分でそういう紹介をですね、私は機械の技術士なんだけどという話しをした。
だけど、「あーそんなんあるんだな」というぐらいの感想だったんですよ。
でもその人はですね、技術士を知っているか?と言ってみんながエンジニアとして生きていくのであればぜひ目指してくれ!というような話をしてました。
まあその人とはですねあ、んまりよくお話できなかったんですけど、その時の印象はですね結構強烈に残っています。
それでいつか(技術士を)取れたらな、というようなことかなりおぼろげに考えてました。
それから実際に技術士を取るのはですね、10年近く後になるのですが、とりあえずその時に初めて技術士というものに出会いました。
それで次はですね、私は結構いろいろなことをこれまでですねやってますので次にですねメイテックの派遣社員として最初に配属されたのが長野県にあるプリント基板を作ってる 会社でですね。会社名だけ見ると何屋さんかさっぱりは分からないところだったのですけどそこでですね、初めてめっきという仕事に初めて出会いました。
めっきですね。初めての仕事だったというのもあるかもしれないのですが、なんかすごく楽しくてですね、まあ難しかったんですけど、なんかすごい楽しく感じました。で周りはですね、工学博士が結構ゴロゴロいるような環境で最初の1年ぐらいは全くお話もついていけなくてですね。
なんとか追いつこうとしてメッキの本をいっぱい買ってきてですね、夜も家帰ってからもずっと勉強してました。
なんかあの初めてなんかこう自分の 意思でなんか勉強したいなと思ってやったような感覚が当時はありました。ここの会社ではですね、めっきの技術以外にも実験計画法を教えてもらったり、論文の書き方を教えてもらったりだとかこうエンジニアとしてなんかこう基本姿勢というかですね、基礎的なところいろいろ先輩たちに教えてもらって、とても勉強になりました。
ここの会社では技術士さんには出会わなかったんですけどとってもいい会社だったと思います。
ある時ですね、めっきの密着性をあげようという実験をやってですね、ちょっと色々思うところがあってすごい没頭していたらしいです。あとから考えるとですね、危ないぐらい没頭していたらしくて。
その時に先輩からですね、「ちょっとハマりすぎだ」ということで向こう行こうって無理やりですね、実験やってる最中に無理やり連れ出されてですね。
その時に出会ったのは今の奥様だったりします
余談はそのくらいにして、そんな中を2年ちょっとやっていたのですが、その後ですねこういろいろと派遣の先が変わりますので、栃木県にある光ファイバーを作る工場、会社にですね移動しました。
先ほどのめっきの会社もですね、この光ファイバー企業もですね誰もが知ってるような結構でかい会社いたのですが特になんかここで語るようなことがなくですね、まあ楽しくやったという感じでですね。
その時はあの技術士のことは浮かばずに過ごしていたという感じです。
で、その後ですね私は実家が愛知県なんですが、父親からですねもうちょっとフラフラせずにもう地元帰ってこいと家を継ぐ必要があるのんで帰ってこいということでこの時にですねメインテックは退社して愛知県の自動車部品メーカーに就職しました。
今もそこにいます。
で、ここで地元に帰ってきて自動車部品工場に就職することになるんですけど、ここではですね生産技術員として機能設備の理由だったり工程の改善だったりということを10年ぐらいやりました。
海外もですねかなり行かせてもらって。
海外に行くとですね、まあできるまで帰れないとかですね、直すまで帰れないとかもうとにかく逃げられない状況の海外出張ばかりで、まあここでめっきのエンジニアとしては相当鍛えられたかなという。
もう何が起こってもビクともしないようなですね、なんとでもやってやるわ!という感じの、の場数はだいぶ踏めたかなという感じです。
でその後はいろいろと、後輩もですねだいぶ育ってきて実務が楽になってきたっていう頃にですねあのま生産技術員としては機械の勉強もしないとな、というのは思っていて保全課の人だったりとかと打合せしてもちょっと話にならないのはダメだよなということであの東京でですね、「めっき工場のための機械設計講座」という セミナーが開催されてるのを知ってです。
それに東京まで15回言って受けたのですが、まあ言ったらですね、そこで講師をやられてた先生が機械部門の技術士の方でした。
ものすごい人ですね。まあかなりのおじいちゃんだったんですがもうハチャメチャでした。 もう車のディーラーから始まり電気屋の番屋さんやったりですね、ゴミ焼却炉の機械設計をやったりだとかっていう結果としてめっきの設備設計をやっていたという方で、なんか すごい人だったんです。
そこでですね今日は機械の方多いので ご存知だと思うんですがパリの計算だとか モーターも登録がどうだとか電動がどうだとかですねそういう勉強を結構がっつりやりました。
でその時ですね、その先生にですね服部さんて何ができる人ですか?とあるとき聞かれてですね、そのときは答えられなくて何ができるのかなと。
会社の仕事は結構がむしゃらにやってきたのですが、外部の人に私はこういうものですっていうのがですね、答えられなくて随分中途半分やってきたなという感じがしてですね、その後しばらくはずっと頭の中でそれがこうリフレインしててね、それでまあ何日か経った 時に技術士というものをメイテック時代の話も思い出してですね、それで技術士を取ろうと。
それで何か自分が一旦はっきりするんじゃないかなと思ってですね、取ろうとある日突然決意しました。
実際それから技術士を取ったのは4年かかったんですがその間はまだ結構海外出張とか多くてですね、勉強は結構大変でした。
一次試験も1回落ちてしまってですね、2回目の受験で一次試験をですね、そのとき機械の勉強してましたので機械で取りました。
で、2次試験に進んだわけですがそのときはJESというセミナーに通いました。独学ではちょっと無理だなと思たので。
JESに通ったのですがそこの受験の指導される先生も当然技術士の方でですね、その方もすごい人で日本で初めてエアバッグを、車のエアバッグですねエアバッグを作った人で 当時世界最高品質の機械って何だろうなぁと考えてNASAに聞きに行くようななんか技術士の方ってみんな結構行動がぶっ飛んでいてですね、すごいびっくりしたんですけどNASAに聞きに行ったとかという話がすごく驚きがあったんです。
まあその人にめちゃくちゃ鍛えられた結果ですね、技術士の2次試験はなんとか一発で合格してですね晴れて技術士になりました
その合格の祝賀会があったのですがそのとき先生からですね、JESの講師としてではなくて技術士としての名刺をいただいてすごく嬉しかったです。
なんか粋な計らいだなとすごく感激しました。
それでですね、まあその後3ヶ月経ってですね合格証を手に入れるんですが、その合格賞を手に入れたときに何を思ったかというと、なんかですねめっきをやってきたんですけど今日聞いてる方に一番参考にならないパターンかもしれないのですが、めっきをやってきたっていうキャリアになんか満足しちゃった感じがしてですね、めっきは終わりでいいなっていう感じが本当に心の底からしてしまって。
ちょっと他のことをやりたいなということで最近 皆さんよく聞くと思うのですがAIの勉強をです独学でぼちぼちやり始めて。
で、その後ですね。今現在はですね、同じ会社でAIの仕事をやってます。
早くやりたい一心で毎月社長にメールを送ってですね、来年から部署を立ち上げたいということで新設させてくれということで送ってですね、でそれと同時にAIの資格もあるのですがそういうのも取って本気でやる気だというのを示しつつですね、新しい部署を立ち上げて今 AIの仕事をやってるっていう状況です。
ちょっとねごめんなさい長くなっちゃったんですが、技術士はですね技術、なにか一つの技術って言われてですね、世間の役に立つような活動だとか仕事をするべきだというのはわかってるんです。そういう意味でですね私はちょっと沿っていないなっていうのは反省してますが、あのまあそれもアリかなと。
色々渡り歩いてですね治験が広まった上で あの最終的に他の誰もできないような何か組み合わせが 生まれればいいかなと思ってます。
まあめっきやってその後に機械やって今AI ってやっているのですがなんかですね、ちょっと言いにくいんですけどなにか、自分の中ではなにか一貫性があってやった気がしていますね。
また何年か後にはAIじゃない何かをやってるかもしれません。
ということでちょっとあまり参考にならない話でしたが私の場合は色々と要所要所で技術線でやってですね、本当とても運がいいなと思っています。皆さんは今日この出会い、運がいいと思いますので、ぜひ今から取ろうという人は頑張ってください。
と思います。
以上です。
(管理人)
ありがとうございます。すごく参考になりましたよ。
私もすごく共感することいっぱいありましたし一つ極めるのが技術者だっていう話も確かにあるわけで、独立するときにすごく自分の専門性を一つ尖らせろとすごく言われたんですけどね、私それできなくて結構いろんなことやる派なんですよね。
で、一つ頑張って色々やってめっきという技術で技術士になったけれども、そこから離れてAIとかに挑戦するっていう姿っていうのはすごくなんて言うんですかね共感するというかあの感銘すると言いますか。はい、いいお話だったなと思います。
ちょっと私から質問させてほしいんですけども、途中で何ができる人って聞かれて答えられなかったっていうお話があって技術士を取ろうとなったというのがあったと思うんですけど、今だとお答えできますか?
答え出ないって。正直ね。難しいですよね、これ。
技術士です、とは答えられるんですが。
(管理人)
むずいっすよね。
安易にこれでいきますよっていう人の方が ちょっとどうかなって思う時たまにありますね。
はい エクセルできますよって言ってたんだけど表計算はとりあえずできるみたいな人もエクセルできますよって、間違ってはいないけどっていうところですね。
難しい。ずっとこれ自問自答し続ける 問いかけかなってちょっと思って聞いてみました。はい、ありがとうございます。
はい、では服部さんのお話以上になりますありがとうございました。
以上
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