ダイ
化学部門のダイスケと言います。令和2年の合格者です。その令和2年は、異例の年ということで、今日ちょっとそのことをお話ししたいなというふうに考えています。異例の年だったかなと思っているので、そこでの気づきというところをお伝えできればなというふうに考えてお話しします。ということで、当日起こった事と準備したもの、試験そのものへの取り組み、この3点を中心に私の経験をお話しできればなと思っております。
すでに会場の案内というのが来ているかなと思っています。(2023年6月24日時点)
私の今住んでいるところは愛知なので、今年は名古屋大学と名古屋工業大学、名古屋工業大学が非常に多いというふうには聞いています。私が受けた年というのは令和2年で、ご存知の方はいるかもしれないんですけど、試験日が7月ではなく9月です。要は延期になった年ですね。しかも会場は名古屋大学でも名古屋工業大学でもなく、ポートメッセ名古屋という場所です。愛知県の人じゃないとなかなか馴染みがないんですけど、東京で例えると、ちょっと合っているかわからないんですけど、東京ビッグサイトにあたる場所かなと思っています。
しかも部屋の割り当てがなく、1カ所で全員集めてやると。
つまり全て同じ場所でやるという試験でした。なので愛知県にだいたい2000人くらいいるのかな、2000人くらいを1つの部屋で集めてやるという試験内容で、かなり異例中の異例だったのかなというふうに思っております。
おそらく大学だと大体30人から100人くらいの単位で1部屋かなというふうに考えていますので、それを見ても2000人を1つの部屋に集めてやるというのは、当時の配慮があったのかなというふうに考えています。
さらに言うと、試験開始がだいたい確か毎年10時半だったような気がするんですけど、この年は12時か13時くらいだったかなと思っています。要は食事をなくすということと、休憩が30分に短縮、昼休憩が30分ということも大きな変化かなと思っています。この点からちょっと感じたことをお伝えできればなというふうに思っております。
1つはシンプルに試験のルールを必ず守るということかなと思って、例えばよくあるんですけど、これ定規の話って多分よく話したりしていると思うんですけど、ルール上は透明度があるんですけど、これ半透明でもダメな時があります。
これ多分、試験管によってばらつきがあるかもしれないんですけど、半透明でもダメっていうケースが多くてですね、1カ所でやっているということもあり、試験前の点検にて、使っていけないという指摘をされていて、実際使えていないという人が、あちこちで聞こえているのを目にしました。
少なくとも私の見える範囲で10人ぐらいはいたと思います。
別に定規があるないっていうのは正直合否には全く関係ないと思うんですけど、多少メンタルはやられるんじゃないかなと思っています。
要は自分が持ってきたものが使えないっていう、そういうメンタル。ストレスっていうのはあるかなと思うんで、余計なストレスを与えないということでは、ルールは必ず守るっていうのが大事かなというふうに思います。
あとですね、ルールを守るという点ではですね、試験が終わったらすぐペンを置くということですね。これも合否には全く関係ないんですけど、試験官がすぐ制裁に入ります。これもですね、いろんなところでですね、やめてください、やめてくださいっていう試験官の声が響いていました。これ相当の数がいたかなと思っています。
これも一箇所の会場でやったから聞こえたというところもあるんですけど、これも本人にしたらメンタルに影響するかなと思うので、前半の必須科目のときは注意してほしいかなと思っています。
休憩中って多分よくある話かなというとこかなと思うんですけど、私のときはもう30分しかなかったっていうのと、2000人が一気に休憩するということもあって慌ただしい状況だったかなというのを今でも記憶しています。
トイレとかそういう食事というのも大事なんですけど、脳みその休憩ってやっぱ大事かなと思っています。必須科目で多分相当頭使っていると思うので、そういう意味では脳みその補給、脳みその補給って言い方合ってるかわからないんですけど、よく言う糖分の補給というのがですね、大事かなというふうに思っています。
皆さんの場合はおそらく昼休憩というのがちゃんとあって、食事が取れるかなと思うんですけど、補給していただければなというふうに思っています。これが私が受けた時に感じたかなと思っております。
もう一つちょっと取り組んだ話っていうのを次にしたいなと思っていて、あんまりこれ真似しなくてもいいかなと思ってるんですけど、選択科目の話です。
おそらく問題の冊子は、2-1、2-2、3の順番で挟まれていて、おそらく多くの方がこの順番で解いていくのかなというふうに思っています。
私はその逆から取り組みました。
理由は配点から考えて逆から解こうかなと。とにかく3は、確実にAを取らなきゃいけないということはわかってるので、必須と同様にしっかり時間かけて取り組みたいということで最初に3を着手しました。
その後、自分自身がちょっと苦手だなと思っている2-2。最後はなんとなく素直にかければいいかなということで、2-1ということで、従来と言ってはいいのかわかんないんですけど逆から取り組みました。
これはちょっと万が一を想定しました。例えば半分かけなかったということを考えたときに、3を半分残すのと2-1を半分残すのでは配点が違うと。ということもちょっと想定しながら、3からやったほうがいいんじゃないかなというふうに着手しました。
これを真似していいかというのはなかなかどうかというところもありますし、私自身知っている限り、これ取り組んでいる人、いろいろ聞いたんですけど1人しかいなかったので、ここは皆さんそれぞれかなというふうに思っています。
あとはですね、試験そのものへの取り組みというところなんですけど、合格された方は結構そうしたかもしれないんですけど、必須選択それぞれですね、5分から10分くらいペンすら持たず、ひたすら問題を読み続けたかなというふうに思っているのを記憶しています。
私自身、ペンを持つことで各モードに切り替えるという頭の切り替えをしていたので、とにかくペンを持たずに、題意が何か、どの問題を解くのかとか、そういうのを十分に時間を費やしました。
それは自分自身がとにかく1枚あたりでどれくらい書けるかというところも計算できていたかなというふうに思っている方から、時間しっかり時間かけて、どの問題を解くべきか、この問題の題意はどういうものかということをしっかり考えました。
皆さん自分がどれくらいのスピードで1枚書き上げることができるかというところの把握、いわゆる自分のマネジメントというところが大事かなと思っています。
よく一般的には20分から25分くらい1枚あたり書くというのが大体よく聞く話だと思うんですけど、本当に本番を想定して書いた時に自分がどれくらいのスピードで書けるかというのがすごい大事かなと思っています。そういう意味での当日のマネジメントというのはすごい大事かなと思います。
当たり前ですけど、練習でできないことは当然本番でもできないかなと思っているので、その点はこの残りの3週間弱で皆さんどれくらいスピードを書けるかというところは改めて確認したほうがいいんじゃないかなというふうに思います。
しょちよー
ダイさんって令和2年だったんですね。
そうなんですね。
特例のときに受けたというやつですね。その年って結構会場とかもルールとかも結構変わってたので、結構皆さん大変だったのかなと。ダイさんのお話聞いてていくつかやっぱ気になることがあって、やっぱそうなんですよね、自分の見積もりを取るっていうんですかね。書く時間をちゃんと予想しておいて、いざとなって対応できるように準備しておくと、それそうだなというふうに思いました。
そうなんですね。
やっぱり自分がどれくらい書けるかって分かってないと、結局当日もどれくらい時間かけれるか。要はバッファーも含めて万が一の時間も想定しながら考えないと。要は人によっては途中で直すとか、消しゴムを使う時間もあると思うので、そういうのも込み込みでマネジメントって結構大事なのかなと思うんですよ。そういうことですね、ありがとうございます。
あともう一点気になったのが、3-3から解いていったっていう話だったと思うんですけれども、これ私全然思い浮かばない、目から鱗で、ああそうかと思ったんですね。他の試験とかだと解きやすい問題から解くって考えると定石って言ってたなとはちょっと思ったんですけれども、これはいつこうやろうって決めましたっていうのがすごい気になりました。
ダイ
これは配点を聞いた瞬間そう思いましたね。配点でやっぱり3って最初に書かないと、体力とか脳みそがまだ十分なうちに3解かないとまずいのかなと思って、ここを結局なんとか乗り切らないと、2の1と2の2頑張っても落ちちゃうので。そう思ったらもう3をまず必死に解かないといけないということで解きましたね。どういう問題が来ようとも考えずに3を解こうというふうにはもう頭から決めてたので。
なので多分こうやってる人ってあんまりいないのかな。
しょちよー
やっぱりそこが一番ポイントでしたかね。わかりました。私がですね、先生30年なので、2と3って時間が区切られてたので、ちょっとそういう発想がなかったんですよね。今の制度だと、もしかしたらこうやって書いてる人もいるかもしれないんですけど、聞いた限りこうやってる人ってほとんどいないなというふうに思いました。そうですね。私も思いました。なぜかというと、いきなり3入るとすると、1800文字で文量が大きいので、筆が止まって進まないリスクを考えると、最初に軽い2の1からペースを上げるといいのかな。普通に挟まれてる順から書く。普通かなとは思うんですけどね。発想は聞いててすごく合理的というか、面白いなと思って聞かせてもらいました。リスクマネジメントも含めて万が一も想定して、いろいろ考えた末にそうしました。わかりました。だいぶ僕聞いちゃったんですよ。最後に一点だけ聞きたかったのが、令和2年ってちょっと特殊じゃないですか。期間が。そうですね。延びちゃった時のモチベーションとかってどうでした?
ダイ
一回モチベーションがダダ下がりしましたね。確かですね、5月に延期しますって言って、その延期もですね、いつ試験に行って決めますっていう話もなかったので、7月ぐらいまで一切連絡なかったんですよ、案内とか。なのでいつ試験をするのかも全くわからんっていう状況が2、3ヶ月ぐらい続いて、7月ぐらいに9月にやりますって言ったもんで、ようやくそこからまたやりだしたという。だから2ヶ月弱ぐらい、実はほとんど勉強してない時期があって、いうので相当ダダ下がりしたっていうのは記憶してますね。それで模擬を受けて目が覚めてやり切ったという、そんな感じです。
しょちよー
そうですよね。実はプライベートで電気電子部門の方の点柵を、ちょうど令和2年にプライベートで持ってたことがあって、ちょうどそのダダ下がりになってたんですよね、その方も。はいはい。私はちょっと厳しいので、そこは中だるめじゃなくて、どんどん知識を蓄えなきゃいけないのに足りないって考えると、そこを使って補わらなきゃダメだよって結構、私はちょっとカを入れちゃったんですよね。そうですよね。でもちょっと厳しくしすぎたかなって今はちょっと反省してます。
以上
前のブログは筆記試験の思い出 しぶちょー
次のブログは筆記試験の思い出 ハザクラ
コメントをお書きください