今回のテーマは「技術士がキャリアを語る会」
このテーマは去年、一昨年も12月にやっています。
と言うかそもそも2年前の12月にとあるきっかけでこのテーマでスペースを始めたのが技術士のススメの始まりです。
というわけで技術士のススメはちょうど丸2年がたち、3年目に突入です。ここまで続けられたのは聞いてくれる人や感想くれる人、あるいはこれをきっかけに技術士を目指そうという人、技術士合格したという人、そしてまさにいま。口頭試験に臨んでいる人たちがいるからモチベーションを保てました。モチベーション命の活動ですからね。
ぶっちゃけ何度ももう辞めようと思ったのですが何とかここまで続けてこられました。それとスピーカーとして自身の体験談を語ってくれる人の存在。私1人では流石に続かないですからね。聞いてくれる人と話をしてくれる人がいるから続けてこれました。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。皆さまありがとうございました。
では本題ですが、これまでに私はこのテーマでスペースで話してますしその内容はホームページにアップしてます。
それ以外にもノートとかでも書いています。
同じ話をしても仕方がないので今日は切り口を変えてお話ししていこうと思います。
とは言えいつも言うこととして、ざっくり私のキャリアを振り返ったときに欠かせないのが資格と転職。
まず資格は技術士という資格を取得できたから今の私がある。もし取っていなければ間違いなく技術者を続けていなかったです。30歳くらいの頃、技術者として全く自信が持てずに自身のキャリアに悩み、技術者辞めようとまで思っていたけれど、その前にと技術士に挑戦しました。受からなかったら技術者を辞めようという覚悟で。だからあのとき技術士に挑戦したことで自信が持てて今の私がある。あのときの私のように技術者として自信が持てない人がもしいたら、技術士を目指してみるのも一つオススメですよ、というつもりで技術士のススメをやっています。
一応言っておくと、自信を持つというのは傲慢になるということではないです。むしろ謙虚になる。自信があるからこそ謙虚になれる。
こういうことはいちいち言わなくても分かるでしょう。当たり前のことでしょうと思っていたのですが、誤解する人、曲解する人がいるというのを最近学んだのでちゃんと言っておきます。傲慢な人は自信のある人ではなくただ傲慢な人です。自信がある人は自信があるからこそむしろ謙虚になれます。
それはそれとして、技術士をとったのとほぼ同じ時期に1回目の転職をしました。転職をざっくり振り返ると、一社目を7年半ほど勤めて、二社目は4年半ほどで次へ。その後は平均するとざっくり2年ほどで新しい環境に移っています。ジョブホッパーと言えばそうなのですが、私にとっては転職を繰り返したのは良かったと思っています。一つ例を挙げると30代後半の頃にいた会社で転勤の可能性が出てきた。というかほぼ確実。ウチはカミさんバリバリ働いていて残業やったり出張とかも当たり前に行くので、私も育児家事を主体的に行う必要がある。家事を手伝うとかではなく主体的に行う。トンカツをカラッと揚げて片付けるくらいには。
当時は子どもがまだ小さく手がかかる。そんな時に転勤。家族連れではいけないので単身赴任となる。というのは無理なんですよね。カミさん1人仕事しながら育児家事をするのは無理。もし転勤となると、カミさんは仕事辞めなきゃいけない。これは私1人のキャリアの話じゃないんですよね。私のキャリアのせいでカミさんがキャリアを諦めなければならないというのは、どう考えてもおかしい。さらに踏み込むと、今の日本では1馬力でがんばって1000万稼ぐより共働きで1000万の方が可処分所得としては多い。だから共働きで育児や家事もちゃんと分担するというのがベストではないかもしれないけれどベターではあると思っていて、その状態をまず作ってそれを維持するのがとても大事。だから転勤は受け入れられない。
いちおう言っておきますが、その会社にも中途で入っていてその募集要項は「勤務地が ︎ ︎で職種はこれ」というもの。家から自転車で通える、かつ途中に当時の子どもが行っていた保育園もある。通勤途中で送り迎えができる。というわけで入社してしてるんですよね。もちろん職種もこれなら、ということで。それが転勤となると縁もゆかりもない土地に1人で行く。しかも確実に職種も変わる。入社して一年ちょっとしか経っていないのにそれは違うだろうということと家庭事情もあったので、辞めて転勤のない環境に移りました。
こんな感じで転職することでそのときどきで自分に必要な環境に身を置くことができました。
転職を繰り返してよかったこととしてもう一つ。
いろんな職場を経験したことで機械設計の本質への理解が深まったと思います。ある業界では当たり前の技術が別の業界では全く知られていない。とかはよくあることですし逆にどこもこの辺は一緒だな、という部分もよく分かった。転職してそこに入ることでそこの設計思想に触れることができるんですよ。例えば機械の現物だけを見ててはわからない、主要な軸のはめ合い公差とかは組織の中に入って図面を見ないとわからない。あぁ、ここは意外とゆるいんだな。とか。ここは締まりばめなんだ、とかは現物見てもわからない。そしてなぜそうなっているのかは部品図だけではわからず組立図を見る必要がある。図面だけではわからないこともたくさん。組み立てるところを見るというのも大事。こういったところは組織の一員となって設計を担当することで過去の図面を見て学び、実践して身につけるもの。本を読むだけでは身につかないことです。例えばリンク機構を解説する本は世にたくさんあるけれど、じゃあそのリンクの継ぎ手の回転部分は何を使えばいいの?滑り子って何を使うの?こんなところまで言及している本は見たことがない。その辺は実践している図面から学ぶしかないし、そういった部分を学んで実践することができた。もし転職せずに一社目にい続けた自分と今の自分を比較すると確実に技術者としての能力は転職を重ねた自分の方が高い。
技術者としての能力というと分かりにくいかと思うので言い換えると問題解決能力です。ただしこれはあくまで私はそういうプロセスを踏むことで成長できましたが、転職せずに同じ会社で勤めていると成長できないということではないです。これもこんなこと言わなくても分かるだろうと思うんですが、言わないと誤解する人がいると学んだのでちゃんと言います。私は転職して新しい環境に飛び込む方が性に合っていたというだけの話です。一つのところで頑張ることで伸びる人も当然いるし、そういう人もたくさんいる。
というわけで転職することで私は人生の節目節目で必要な環境を手に入れることができたことと技術者としての成長があった。ただしこの成長というのはあくまでも技術者としてであって、社会人としてあるいは人としてということではないです。転勤の話を例にとると、私はそれを受け入れられなかったのですが転勤を受け入れて頑張っている人もたくさんいる。というかおそらくそちらの方が多数派。その人たちが私みたいに転職で環境を変えた人より劣っているか?というと決してそんなことないですよね。むしろ転職せずに頑張っている人から見れば、私のように転職した人は逃げたという見られ方をしても仕方ないですし、私が実際に嫌なことから逃げたというのは事実です。転勤という嫌なことから逃げた。これは事実。
でももう一つ事例をお話しすると炎上確定案件に突っ込まれて2ヶ月ほど無茶苦茶な働き方をして、いくら応援を頼んでも無視されてあげく熱出して二週間寝込んで強制帰宅。その後も1ヶ月は調子悪かったことがあります。流石にこうなるとその職場で頑張ろうという気は失せます。自分の体や心を壊すくらいならそこから脱出していいと思います。これは逃げるというより戦略的撤退ですね。
ぶっちゃけ体を壊したときにそのままその職場に居座って以降は体を壊したことを盾にとってややこしい案件は全て受け付けない、楽な仕事しかしない。いわゆる働かないおじさんになるという手もあったと思います。働かないおじさんになる人。最初から積極的に働かない人ってあんまりいないと思います。仕事の処理能力の優劣はあるにせよ。働かないおじさんと呼ばれるような状態になったのには理由があるはずで、であればこそ働かないおじさんというものを否定するつもりもないです。だけど私の場合は会社に無理をさせられて体を壊した事実を盾にとって自分から率先して働かないおじさんになるというのは、自身の美学に反する。それこそ受け入れられないことです。だからそこを辞めて新しいところで頑張るという選択になった。
体を壊したり心を壊したりするくらいなら戦略的撤退をすればいい。あの頃の私にとって、転勤というのはそれくらいのことだった。ということです。ただし戦略的撤退というのは非常に難しい。強力な武器が必要。それが一つには自分の実績ですし、それを語れる、資格も武器になる。技術士は知名度がないと言われますが建設業、製造業のちゃんとしたメーカーだったら知られて評価されてますからね。
さて。ここからが大事なことで今まであまり言ってなかったこととして、当たり前のことですがシンプルに転職は大変です。もちろん転職先を見つけるのは大変です。でも本当に大変なのは転職した後です。ここの話をしていこうと思います。
中途採用それも特に30を超えた人の場合、まずは即戦力として期待されます。それだけではなく外の世界を知るものとして新しい風を期待されます。新しい風というのは今までにない視点で組織の改善をして欲しい、という類のもの。これに関してよく言われるのは、これを間に受けてダメ出しをするのはよくない。というもの。確かにあからさまに新しい職場に対して「まえの職場ではこうやるのが当たり前だった、できていない今の職場はダメだ」と批判するのはダメです。とは言え今までにない視点で改善していくことが期待されているのも事実。だから中途採用されたら即戦力で成果を出すことと新しい視点で改善していくことの2つをやらなければならないんですよ。その順番としてまずは郷に入りては郷に従え。新しい職場のやり方を徹底的に真似る。指示に従う。そうして成果を出していく。この時に「プロパー社員は惰性で認められているのに中途採用者は認められないこと」というのがあります。
例えば設計だと出図という工程があります。仮にこれは図面と共に部品の手配表を印刷してA4サイズに折りたたみ、システムに手配品を一つ一つ登録して紙を調達部門に回す。という作業だったとします。プロパーの設計者は印刷した紙を折りたたむことなく調達に回してシステム登録もしません。曰く「そんな誰でもできる仕事は設計者のやることじゃない」何も知らない中途採用者はこの会社ではそういうものなんだと先輩社員を真似して紙を調達に回します。すると調達部門から呼び出されてひどく怒られます。ちゃんと折りたたんでシステム登録してから回してください。と。釈然としないですが対応します。これはまだルールを守れということなので納得はできます。でもこれをやっていると、何でそんなことやっんだよ?そんな暇ないだろ?と言われたり、雑用を押し付けていいんだと思われて自分の雑用を押し付けてくる人も出てきたりする。
プロパーは見逃されているタスクだけれど中途採用は許さない。あるいはこれ幸いとばかりに雑用を押し付けてくる人もいる。
込み上げるものがあってもグッとこらえてニコッと笑って「まぁ仕事ですから」と応える。そして通常業務を淡々とこなして成果を出す。そうすると、お!こいつなかなかやるな、と思ってもらえる。お手並み拝見みたいな感じですが、中途採用者にとってこれは必要だと思います。こうやってできた信頼関係は本当の信頼関係だから。そうなってきて初めて、このやり方はこうしたほうがいいと思います。とかこういうやり方があるんですけど、と提案しつつ自分がまずやってみて効果があることを示してちょっとずつ普及していく。ここまできて中途採用された期待に応えることができたと言えると思います。ここまでくるのにどれくらいの時間か?私の感覚ですが6ヶ月。から一年以内ですね。けっこう大変だと思います。
また企業が中途採用を行うのにはもちろん理由があって、私の経験的に言うと一つには人手不足。仕事量が増えての採用。もしくは誰かが辞めた穴埋めでの採用。この場合は仕事量がめちゃくちゃ多かったり、前任者が辞めたなんらかの理由があるということは理解しておいた方がいいと思います。また、対処しなければいけない案件があるけれど誰も対応できる人がおらず手付かず。このままではいずれ炎上することがうっすらわかっていての採用。この場合、この案件を振られて炎上前に解決できれば御の字。だからと言って褒められるわけではない。場合によってはそのあとは都合のいいコマにされる。どうしようもなく炎上してしまったら身も心も焼かれてしまいます。どちらも(炎上前に解決したら都合のいいコマにされたことも炎上して心身ともに疲弊したこともも)経験あります。
というわけで転職して新しいところに身を置くというのは基本的にすごく大変です。なので私は転職回数は多いですが、転職はしたくないんですよね。でも転職を繰り返してきたのには理由があるからです。それは先に言ったように家庭が崩壊してしまうからだったりこのまま続けていると心が病んでしまう、身体が壊れる、壊れた。という状況にまでなったから転職を選んできた。
転職したあとがとても大変だと誰よりも分かっていても転職してきたのには理由があるからですし、それなりの理由が無ければ安易に転職はするのはおすすめしません。技術士を目指すのはお勧めします。
とは言え最初に言った通り私自身は転職を重ねてきて良かったと思います。
ここからキャリアと時代背景の話をしていこうと思います。つまり私の世代は転職という選択肢があったということです。私は2004年の新卒ですが、これは氷河期の最後の方。氷河期を有効求人倍率が連続して1.0を下回っていた年代と仮に定義すると1993年から2004年。2004年はまだ氷河期ですが回復しつつあった。私が新卒で入社した会社の一個上の先輩は5〜6人でしたが私の同期は10数人。一個下になると売り手市場と言われ始めて40人くらい採用されていました。あの頃はどこの会社も長く採用を絞っていたので社内はワイングラス型の人工分布をしていると言われていました。流石に若手がいなさすぎてやばいとなったのでしょう。採用活動が活発になり始めました。それは新卒だけではなく中途もです。長く採用を絞っていた分、中途でも若手を集めたくなった企業と新卒で思うように就職できなかった若手の思いがマッチしたんだと思います。
あの頃、中途採用関係のイベントは良くありましたし行くと人いっぱいでした。二つほど実例を挙げると2006年ごろに東芝がウエスティングハウスを買収して原発で世界に打って出ようとしていたのもあって中途採用を広く募集していました。また、2008年には、この年はリーマンショックの年ですが、日本においてはMRJ、三菱リージョナルジェットですね。これが動き始めます。これも中途採用を広く募集していました。まぁどちらも今は結果として残念なことになりましたが、当時はすごく夢のある事業でした。まぁこれだけではないですが、すごく転職活動というのが活発な時期でした。その流れがあったので私も最初の転職に踏み出すことができたのですが、仮に私が10年早く生まれてたらどうでしょうか。
1994年の新卒だとしましょう。時代背景はバブルが弾けて間もなく。ここから先はどうなるかわからない。今の時代もボーカの時代と言われて先が見えないとよく言われますが、それは色んなカラーがあって何色になるのかわからない。という意味であり、当時の先行きが見えないというのはお先真っ暗という意味です。闇一色。何も見えない。という状況。あのころ、まだ一般的でなかったリストラという言葉が巷に溢れはじめました。そんな状況でどんな理由であれ転職できるでしょうか?ほぼ無理だと思います。むしろ君は明日から来なくていいよ。といつ肩を叩かれるか分からない。男は仕事、女は家庭が当たり前の時代。もしリストラされようものならそれこそ一家が路頭に迷いかねない。そんな状況では何があっても転職をしようという選択肢はなかったと思います。こればっかりは自分の力ではどうしようもない、時代背景というものがあってのこと。なので私は運が良かったと思います。
最後に、今回キャリアを語るというテーマを考えたときに過去の振り返りばかりでいいのだろうか?と疑問に思いました。私は約二週間後に45歳になるのですが、つまり29日に誕生日を迎えるのですが、まだまだ現役の技術者です。少なくとも20年は働きます。つまり自分の未来のキャリアも語るべきだと思いました。いま私はあるメーカーで設計やっています。同様の製品で海外製のものを見ると設計思想がまったく違って大胆なものを見かけることがあります。そんなときに「まだまだ自分は発想が貧困、あるいは固定概念に縛られてるな」と思います。アイフォーンが日本から生まれなかったとよく言われますが、最近すごくそこについて考えるところがあります。ちょっとふわっとした物言いになりますが、これから先は海外に目を向けて。と言っても海外に売って出るとか勝負するとかということだけではなく、固定概念にとらわれずに色んな設計思想を取り入れて柔軟に面白いものを設計していけるようになりたいなと思っています。
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